伝えるだけが脳じゃない

コミュニケーション大事です

こんにちは、kay(ケイ)です!
私は今、みんなで語学を学ぶ
コミュニティをやっておりまして
「伝えるコト」について
様々、考えるようになりました。

英語や他の言語に触れれば触れるほど
日本語や、自国の文化背景に
ドンドン興味が沸いてきて

そもそも日本語で、
きちんと伝えられているのか、
という新たな問題が出てまいりました。

私にとって
コミュニケーションとは何なのか。


コミュニケーションて、
必須のように言われてるけど
そんなに全てを伝え合わなきゃいけないのか。

私が、「いけすかん」ともう言葉と共に
お送りしようと思います。

今日もおつきあいください。

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コミュ障と言う言葉

私が嫌いな言葉の一つに
「コミュ障」ってのがあります。

この言葉を使っているのは
そこそこ若い世代かと思いますが
主に「免罪符」として
使われている気がしてなりません。

自分の人見知りを申告したり
言葉で人を傷つけて言い訳が必要な時に
ちょこちょこ聞くようになりました。

訳のわからん略語で誤魔化すのは
西洋医学の対症療法に似て
根本はいつまでも変わらんなあ、と
この言葉を聞くたびに残念に思います。


これは昭和世代の悪いところでもありますが、
「その根性が気に食わん」
と、思ってしまうのであります。

けれど、言い訳させていただけるなら
これはただの根性論ではなく、
私があえてこのセリフを使うだけの
理由がちゃんとあるのです。

まず、障害って言葉を安易に使うなよ。
と思うのであります。


私が出会った、この言葉を使う多くの人が
見た感じでは五体満足で仕事をしていて
社会生活は送れているようです。

もしも助けが必要なら
当然それを皆に話して
周りとどう共存できるかを
一緒に考えるべきですが

個人的な性格の人見知りにまで
「障害」を申告してくるとは
おぬし、なかなか太いな。
と思ってしまう訳であります。

人の脳は新しいことを嫌うので
私の理解では世の中全員が人見知りですが
大人はそこを飲み込んで
ガンバッテいる訳であります。


もし、あなたがこんな風に
「コミュ障」を使用されている場合は
改善に向け、ぜひ一度努力されたし。
人見知りはあなただけではありません。

もう一つはコミュニケーションて
結構みんな大切って言うけど
「そんなに全部伝えなきゃいかんのか?」
問題です。


これは私の脳内に沸き起こってきた
新たな疑問でございます。

疑問としてハッキリと自覚したのは最近ですが
私の中にはうっすらと存在しておりました。

どうやらコレが原因で
コミュニケーションという言葉自体、
胡散臭く感じていたようです。

矛盾はいつもやってくる

大体、何だってそんなに
「コミュニケーション」が必要なんでしょう。

考えると、大抵の場合は人付き合いの中で
「同じところ」を目指すためなんだろうと思います。

仕事や家庭、友達づきあい、恋人に至るまで
「共感」してその感情を「共有」するために
同じ言葉を使って同じ時間を過ごす、
というのがコミュニケーションであろうと思います。


だけど私が自分の生活を楽しんでいて
例えば好きなことに没頭している時に
それ、全部一語一句伝える必要はないですよね。

どう感じた、どう思った、を
100%しっくりくる言語で
全ての人に伝えるのは難しい。
人が聞いたら、「どこがそんなに面白いの」
で終わってしまう話です。

正直、全部説明すんのもめんどくさい。
(あ。言ってしまった。)

でも、でもですよ。
人と何かを共有できた時の
「この上ない楽しさや嬉しさ」
も、またある訳です。当たり前だけど。

目下、私の中の矛盾は
ここに立ちはだかっております。

人とたくさん繋がりたい、
いや、もう誰とも関わりたくない。

長い時間をかけてこれの繰り返し。(笑)
いったい、何なんだ?(笑)

そんなに伝えなくたっていい

ここへ来てやっとわかってきたのは
この矛盾はどうも、
(伝えたい感情)と(伝えなきゃいけない状況)
のバランスが崩れた時に起こるようです。

ここ数年、息苦しくなってきたのは
(全てを正しく伝えなければいけない)状況に
世の中全体が変わってきたのが原因かな
と思う訳であります。


SNSがまさにそうでしょ?
自分も情報発信やってる身で
こう申し上げては何ですが。(笑)

秒単位で思ったことを呟いて
共感を得て。フォロワーを増やす。

まるで伝えなきゃ意味がないかのような
世の中の進み具合ですが、
いや、全部伝えなくたっていいんです。

自分の好きなことに
共感を得られなくたって別にいい。(笑)


自分の中に貯めておかなきゃいけないものや
言葉にすると陳腐になってしまうものは
山ほどあるのです。


で、その貯めたものの中から
どの場所でどの言葉を使って
どう伝えるか、が自分の腕にかかってる。

その辺りをどう選ぶかが
センスであり、自己表現なのかしら?
と近頃思う訳であります。

いろんな情報発信を続けている人たちの
本当に興味深いところは
発信されたものが出来上がるまでの
醸成期間にあるのです。

その辺をポロっと出してくれる人を見つけると
何とも伝えにくい感情が湧いて
ニヤッとしてしまう私であります。

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