きっかけはウィルとクリス

kayのブログ 中高年の日々

こんにちは、kayです!

そろそろ皆さん辟易してる頃だと思います。
そう、アカデミー授賞式における
クリスとウィルのあの一件。。。

や、私だって人のゴシップなんか
取り上げたかあないが、(笑)
世界の(まさに世界の)反応に
早起きするほどの違和感を感じてしまいまして。

せっかく早起きしたし
自分の違和感が
どっからくるのか
探ってみようと思います。

今日は最後まで読んでもらえるかなあ(笑)

外野は黙っとけ

私、個人の見解としては
現在オールドメディアと呼ばれる媒体は
大の大人が見るもんじゃあありません。

そして、近頃のネットの社会の中も区別はつけづらいけど
有害とも言える極端な情報は多いと思います。
メディアがセレブや芸能人のゴシップを
繰り返し大量に流す時はほとんどの場合、
私たちが知るべきニュースは報道されません。

こうした私の考え方から言えば、
あの人がどーした、こーした、というような
特定の人物のイザコザや不倫などは
わざわざ時間を割いてまで
論議するようなシロモノじゃあありません。

当事者の事情は当然、
当事者にしかわからず
全ての他人の意見は「人ごと」なんであります。

つまり、
「外野は黙っとけ」ってことです。

もう1つ付け加えるなら、
ハリウッドの役者があんな大舞台でやることに
台本がないとは到底思えません。

けれど、あれが二人の本気だったとしても
「だから、何なんだ」という
故・景山民夫氏の著書のタイトルを
ぶつけてやりたいと思います。

kayのブログ

人間の本質は暴力だと思う

もちろん、かく言う私も
外野も外野、日本で普通に暮らす人です。

それでも、これを取り上げたのは
ある種の人々の反応に
アレルギー的な違和感を覚えたからであります。

多くの人は、二人の間に何があったのかを
あれこれと並べ立てて、
メンタルヘルスの問題や脱毛症の問題、
はたまた黒人に対する長年の不遇な扱いに
非常に「寄り添う」形で話されてる。

その中でよく、
「両方の気持ちがわかる」とか
「両方よくない」とか
まさに外野の知った風な言い草ですが(笑)

毎回こんなのを聞くたびに
「彼らとお友達なの?」
聞きたくなってしまう私です。

けれど、こんなのは
ゴシップにはいつだってつきものです。
私が今回どうしても黙っていられない、
と感じたのは

「人間の本質は暴力である」
と言うこと。
これを言いたかった。

これを言うと
非常に誤解を生むでしょうし
サイコパス、きた!と
思われるかもしれません。

や、もちろん日常生活で
いきなり人に襲いかかるんではないですよ。
ご安心下さい(笑)

でもね、でも
自分の中の狂気や、血が沸き立つような感覚を
人生で一度も味わったことのない人っているんでしょうか。

愛情にしろ、憎しみにしろ
自分や他人を殺そうとする、とか
壊したいと思うとか、あるいは支配欲。

尊厳を傷つけられて、唇が切れるほど噛むとか
大切なひとをひどく傷つけられて復習を誓うとか。

ちょっと本気で生きてれば表に出さなくたって
みんなある種の狂気と闘ってんじゃないの。

それを何とか飼い慣らして
コントールしているのは
今の社会の中で暮らしてるからな訳で

ほんの数十年前までは(今でもですね、)
ほとんどの国が外にも内にも
力まかせに土地を奪いあって来て
その歴史の上今があると考えれば、

本来の人間の姿は
「暴力反対!」とは対極にあると思うんです。

格闘技や拳闘が、
今なお世界中で人気を博しているのも
自分が出せない「暴力」に対する
憧れのようなものではないでしょうか。

「どんな時も、暴力はダメ。」
という人たちは世界中の人々が
全てのことを「お話し合い」で
解決してると本気で考えてんでしょうか。

ハリウッドのアクシデントを
ロシアとウクライナの現状にまでなぞらえて
「だから暴力はダメ」という人もいました。

私としては
「戦争に発展するほどの狂気を私たち全員が持っている」
と認めて生きたほうが、
はるかに正直で生き物らしい、と思うのですが。

こんな註釈つけるのは
甚だバカバカしいと思いますが、
暴力を肯定している訳ではありません。

ただ、私という存在には
すでに自然に存在するものを
否定できるほどの力がある訳ではないのです。

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同じ目をした同じ人種

「暴力反対」を訴える人たちは同時に、
「両方の気持ちがわかる」とか
「両方悪い」というような
喧嘩両成敗論をぶち上げますが
闘えば、必ず勝敗が決まります。

身体的な勝ち負けを基準とするか
精神的に勝敗を感じ取るかは
まさに闘った当人だけにわかることで
そこにも外野の入り込む隙はありません。

(だいたい一般の日本人に
「北米に黒人種として生まれて
ショービズの光と闇をくぐり抜けて来た
ハリウッドスターの気持ち」
がわかるなんて、ほとんど不可能)

私は平和主義者でしょうし、
どんな小さな揉め事だって
起こしたいとは思いません。

けれど自分と大切な人たちの生命や、
生活や尊厳を脅かす相手には
迷わず牙を剥くでしょう。

生物としての私の反射神経は
その判断をためらうことはないと思います。

というような、私個人の見解を
「暴力反対派」は
否、いかなる場合も暴力は許せん!と

「非暴力」という名の濡れた毛布で
私を覆い隠そうとする。

彼らは私が最も胡散臭いと考える
ある種の環境活動家やオーガニック推進派と
ほとんど同じ目をしています。

そんな彼らは日々、
人権やら個性とやらを大切に!
声だかに叫んでいます。

「人間の中の暴力を認めて生きる」
との考えは私の個性の一部であり、
それを外野に反対される筋合いは
全く持ってないのであります。

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