不親切な気遣い

こんにちは、kay(ケイ)です!

ここ数年で

ちょこちょこ遭遇する

なんだろ、コレ。

という違和感が

私の中で

だんだんと正体を表して参りました。

世代の違いと言えば

それまでですが

それにしたって

何だかみんな生きづらそう。。。

かく言う私も

だんだんと息苦しくなってきたような

その状態さえも

人に言えないような、

そんな感じがいたします。

今日もお付き合い下さい。

images-3.jpeg

エレベーターでの攻防

私の働く駅ビルでは

飲食店含め、色んなお店が

1階から5階まで

集まっております。

従業員用のエレベーターは

たった2台しかなく

出退勤の時間は

割と混み合う感じです。

以前から

「ちょっとムダ」

と感じていたのは

「降りる順番の譲り合い」です。

開のボタンを一度押せば

扉は30秒間開いたままなので

15人くらいなら

その間に簡単に降りられるのですが

例えば退勤時に

1階に到着すると

どうぞ、どうぞの

譲り合い合戦が始まって

何ならボタンの前にいる人は

開を押したまま全員を

先に降ろそうとしてくれます。

非常に丁寧に包まれた

大きなお世話だと思っています。

(私は意地が悪いんでしょうか)

1人が開を押して

30秒で全員が降りれば

上の階でエレベーターを

待っている人たちも

少し早く乗れるのにな。

この疑問はずっと私の中に

くすぶっておりましたが、

ま、私も性格悪いから()

と思い直し、

自分の心に留めておりました。

ところが先日

バックヤードと店内を結ぶ

鉄扉の間で

宅急便のお兄さんが

足で扉を抑えながら、

手のない低い台車を

かがんで押し出そうとしておりまして

そのすぐ後ろで

アパレルの女の子が

どうすればいいのか

わからない様子で

文字通り、

オロオロしておりまして

唯一の通路を

塞いでおりました。

いやいや、

なんでわかんないのよ。

私はすぐに

鉄扉を抑えると、

お兄さんは明るい会釈をして

スムーズに店内に入って行きました。

女の子は

オロオロしたまま、

何となくの

お辞儀をして

休憩室に行ってしまいました。

え。

扉を押さえたらすぐに通れる。

とかも思いつかないのかな?

その事があってから

日々のエレベーターの攻防が

私にはいよいよ

胡散臭く映るようになりました。

つまり、他者への

「気遣い」と言うより

「利己的と思われたくない自分」と

「想定外の行動を取らない自分」です。

人前で率先して、とか

自発的に何かをやる事が

一部の人にとっては

大変なプレッシャーになっている。

人より先に

エレベーターから降りるとか

通路がスムーズに通れるように

配慮するとか。

バスや電車で席を譲るのは

もはや当たり前の事ではなく

勇気を振り絞った

一世一代の大親切なのです。

(もちろんいい事なんだけど)

だって日々の自分の

行動計画には

プログラムされてませんから。

親切心や気遣いさえも

想像の彼方に追いやられたと言う事は

多くの人はほとんど

何も考えなくなったんでは、

と少し冷や汗が出てきます。

shop_tennin_reji_1838.png

個人コンビニの神

かれこれ15年以上経つと思いますが

当時住んでいたアパートの近くに

個人でやっている佇まいの

コンビニがありました。

手作り風のお惣菜や

渋い品揃えで

私はちょくちょく

そこを利用しておりました。

ある時、

買い物をした合計金額の

1円だけ足りずに

やむ無し、

と思い一万円札を出すと

レジのお兄さんが

「あ、よかったらここからどうぞ。」

と、募金箱のような箱を

ジャラジャラ鳴らして

フタを開けてくれたのでした。

いえいえ、とんでもないです。

さすがに募金箱から頂けません。

とお断りすると、

お兄さんは微笑みながら

「いえ、募金箱ではなくて

ホントに小銭が少し足りない人に

使ってもらってるんです。」

と言うではありませんか。

なんでも、そうやって

少しずつ色んな人に

分けていたら、

段々と返してくれる人が

増えてきたそうな。

今では箱の中の方が

割と潤っているので、

お姉さん

遠慮なく使って下さい、と。

私はありがたく

1円を拝借し、

もちろん次の買い物の時に

色んな小銭で100円を

お返ししたのでした。

ここのコンビニは

人の親切が流通してるんだわ。

と、店を通るたびに

愉快な気持ちになったのを

今でも時々思い出します。

AIになろうとする人たち

近頃見た

養老孟司さんの動画で

「今の人たちは無意識に

AIに近づこうとしている。」

と仰ってました。

今の私には

とても合点のいくお話でした。

いえ、おわかりかと思いますが

決してAIにはなれないのです。

だって人間だもの。()

人とのコミュニケーションが

最小限になり、

家族や友人とさえも

関わったり、話し合うのが

億劫になってしまう。

遠ざかれば遠ざかるほど

やり方がわからなくなって

よりスマホやゲームの世界に

依存してしまう。

人よりもコンピューターの方が

接する時間が長いわけです。

そうなってくると、

返ってくる反応は

ほとんど自分の想定したものか

AIが判断した

「あなたの好きそうなもの」だけ。

しかも、今の時代の様に

実社会ではほとんどの人が

言いたい事を言えない。

ありもしない物に抑圧されて

不満が溜まってくると

誰かを吊し上げたくなる。

大人の世界がそれを

作り上げているのに

子供にイジメをやめろなんて

言えたギリか。と思います。

だから、そろそろ

他の人の事もちょっとだけ

考えていきませんか。

別に親切を

押し売りしなくていいんです。

でもせめて、

ちょっと扉を押さえてあげるとか

1円くらいなら

そっと差し出すとか

世の中を回っていくような

気遣いを、

お互いできるように

暮らしていきませんか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました