こんにちは、kay(ケイ)です!
なんだか悲しいお話ですが、
ここ1年で近しくお付き合いをしていた
家族や元同僚が亡くなり
様々な想いを消化中でございます。
悲しさや寂しさは
消えることはありませんが
時間と共に癒えるのを待つことにして
近頃、私が強く感じた
「記憶」について
お話しようと思います。
今日もお付き合いください。
Contents
思い出話の罠
涙しながらでもなんでも、
故人の思い出話を語り尽くすのが
とても供養になる、と
人から聞いたことがあります。
身内では一年の間に
叔父と大叔母が亡くなって
家族でたくさんの
昔話をする事になりました。
しかし、コレが
中々笑える展開になりまして。。
(不謹慎とは思いますが)
私は両親と兄の4人家族ですが
ナント全員違う記憶を持って
大叔母の思い出話を
一生懸命していたのです。(笑)
大叔母は戦後
アメリカの軍人さんと結婚し、
彼女の両親から
半ば勘当を食らって日本を離れ
その後数十年ぶりに
姉である私の祖母(父方)を頼って
初めて帰国したのでありました。
確か、私が小学生の頃だったと思います。
4年生か、5年生か。
この辺りからすでに曖昧です。
私はこの時、
大叔母は一ヶ月ほど
私たちの家に滞在していたと
記憶していました。
毎日、学校から帰ると大叔母がいて
一緒に夕飯を食べ、
さらに夜遅くまで
歴史や外国の話をたくさんしてくれた、
という「私の記憶」があるのです。
ところがところが、、、
「父の記憶」では
滞在期間は全く覚えていない。
けれど、彼女が私の祖母の家族と
結婚前に暮らしていた宇都宮へ
車で連れて行ったと思う。
「母の記憶」では
多分2〜3日で帰った。(絶対ウソ)
色々話して盛り上がって
いっぺんに仲良くなったのは覚えてる。
「兄の記憶」に至っては
来た事自体覚えてない。(ウソだろ)
結局、誰の妹だったっけ?
(おい、マジか)
てな具合で、
追悼のお手紙を書こうにも
エピソードがツギハギだらけ。。
大叔母の家族は
テキサスに暮らすアメリカ人で
私たちにとって
大叔母がどんなに大切な
存在であったかを伝えたいのですが
思い出話を話せば話すほど
私の家族はトンチンカンです(笑)
同級生との再会
これはまた別のお話ですが
先日、高校の時の同級生と
30年以上ぶり(コワイ)に
再会する運びとなりました。
彼女は埼玉在住で、
他にも紹介したい方たちがいたので
zoomの画面で久しぶりの
対面となりました。
当然、お互い年齢らしき容貌ですが
正直お互いの印象は
「変わってないねえ」
だったと思います。
しかし、容貌とは別に
1つ驚いたことがありました。
zoomで対面する前に
一度音声だけでやりとりした時に
「kayちゃん、
高校の時とおんなじ喋り方!」
と言われたのでした。
うそー。
だって私、販売職についてから
相当話し方研究して
自分の努力で
かなり変えてきたという
ジフがあったのになあ。。。
おかしいな。。。
い、今までの30年間(と、少し)は
なんだったのよー。。
という結果に(笑)
人は点を忘れる生き物
自分が記憶しているような出来事が
本当にあったのか?
自分が思うように成長しているのか?
なんて事は
考えても始まりませんが、
その都度アウトプットしていたら
今頃どうなっていただろう?
と、最近よく考えます。
もちろん、今までのやり方を
後悔はしていませんが
自分の脳みその中と
他人の脳みその中がこんなに違うのは
今後生きていく上では
少し不都合が出るかもしれません。
ほんの少しでも体験したことや
自分がどう感じたかを
ちょっとだけ記録しておくのは
とても有効だと思います。
自分の今が、
どこから始まっているのかを
後から振り返ることができるからです。
日記や手紙、とはいきませんが
メモやちょっとした動画でも
人生の点々が線になるような記録を
残していってもいいかもしれない。
だって自分の脳みそは
いつだって自分を過大評価したり
必要以上に厳しくしたりしていますから。
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