こんにちは、kay(ケイ)です!
私はこれまでアパレル販売職がかなり長かったため
「見た目」というものに
良くも悪くも長く付き合って参りました。
「人は見た目が全て」とか
「人の第一印象は2秒で決まる」とか
冷酷とも言える通説が数々ございますが、
それらは全部本当です。(笑)
だってもう私たち、
そうやって刷り込まれちゃってるもんね。
ただ、その「見た目」の
良い・悪いって基準が
時代によって変化していて
それが昭和世代の私を
息苦しくさせる原因にもなっている。
ってなことを最近しみじみ感じるようになりました。
今日もおつきあい下さい。
「見た目」の良さ=正しい
インスタグラムに代表される
「映え」ればヨシ!の価値観は
逆に言えば「舞台裏はカンケーなし」
ということです。
一枚の画像や切り取られた場面でのみ
「見た目が良い」=正しい
SNSが普及しただけでなく
飽和までしちゃって
とうとうこの価値観が
多くの人に定着してしまったと感じます。
例えばアメリカでは
食事の前にまず撮影、という
異常な社会現象を
「フードポルノ」と呼んで
蔑んでいましたが、
この国ではもはや
見た目の良さ=美味しい
なんて勘違いが止まりません。
パンケーキと同じ高さで乗っかった
あの生クリームって
撮影終わってから食べ始めたら
ドロドロに溶けて甘すぎて
「美味しいもの」ではないはず。
でもポストした写真は
おしゃれでカラフルで
「わ〜、これ絶対美味しいよね!」
という風に刷り込んできやがります。
(少食になったおばさんの僻みでは、
決してない笑)
で、今正しいとされる
「美しいもの」の定義なんですが、
アパレル職での後半10年くらいで
非常に多く聞くようになった
「清潔感」という言葉。
この国においては
これがキーワードなんじゃあないかと
睨んでいる私でございます。
公共施設(特にトイレ)の
綺麗さに異常なまでの執着を燃やし
服が汚れると言って
子供を泥んこから引き剥がし
自宅の床に落とした食べ物は
即ゴミ箱行きという
私の幼少期とは全く別の国になった
母国ニッポンでございます。
この、絶対的な清潔感て
限りなく潔癖に近い。
つまり、「汚いもの」=正しくない
訳であります。
誰が握ったかわからんおにぎりより
コンビニの工場で作られたものの方が
安心して食べられるので。
と嘯くヤツらは今や完全なマジョリティ。
その内「寿司」の存在が危うくなるかもしれません。
見た目で人判断すんな
こんなに美しいものを追いかけて
汚いものが嫌いなクセに
公にデブやブスとは言えなくなりました。
みんんが「正しくない」と思っている
デブやブスという見た目は
それについて言及することが
悪口になってしまいました。
潔癖ホワイトカルチャーでは
悪口を言う=ネガティブで「汚いもの」
この表裏一体現象で
お困りなのは普通の人々だけではありません。
女芸人と言われる方々が、
それについてこぼしているのを
何度か見たことがあります。
「太っているのも笑いの武器だったのに。」
や、私は太っている人にデブと言え!と
オススメしてんじゃありません。
お笑い芸人のような
特殊な職業の方は別として
「見た目で人を判断するな」と言いながら
なぜダイエットにとり憑かれるのか?
「見た目で判断する」と言う行為が「汚い」なら
なぜこんなに整形手術が普及したのか?
この大きな捻れに違和感を持つのは
一体、世代の差なんでしょうか?
「自然体より作り物でも美しい方がいい」
=絶対的な正しさ
「自然体でも汚いものは認めない」
=正しくないもの
こんな方程式を擦り込まれちゃって
ネガティブなものや汚いものに
触れることさえ「正しくない」となってくれば
=キャンセルカルチャー
と言う図式を思い浮かべてしまう私です。
「汚いものに本質がある」は昭和の名残り
さてさて
実はオジさんとオバさんは
美しいものに対して
うっすらと胡散臭さを感じます。
(絶対に私だけじゃない。絶対に。笑)
無垢で純粋な佇まいで
キョトンと生きているものに対する
妬みと苛立ちかもしれません。
何よりも、俗に言う綺麗事では
この世を泳ぎ切れないことを
熟知しているからです。
基本的に「綺麗なもの」は
人前に出すために作られた
建前だと思っています。
(まさか、私だけじゃないよね?笑)
私もしている脱毛や
男性の髭剃りだって
他人の目があるからこそ。
それなのにそれなのに
かつての2ちゃんねるの精神を
今だに貫いているおじさん達は
知らぬ間にTwitter上でミュートされ
私たちが建前として受け取っていた
「綺麗事」なるものは
今や若い世代の本音であり、
それは私にとって表面的な励ましや称賛であり
ネガティブな思考や行動は
「汚いもの」として扱われるハメに。
世の中全部が潔癖症で
除菌が推奨され、
愚痴や悪口はミュートされる
現在の日本であります。
けれど一方では
You Tubeで「うっせえわ」が
人気となったり
「誰にも言えない」些細な愚痴を
抱えきれなくなって鬱になったりと
ホワイト社会にまっしぐらな
この風潮に対して
もうすでに弊害が出ている訳であります。
ルッキズムを批判することさえ
「外見について触れる」こととなり
それを批判する=ネガティブ=汚いもの
な訳で、締め出していくだけで
コトが片付く訳ではありません。
(ブサイクは黙って整形しとけ。
みたいな空気、感じたコトないですか?)
「物事の本質は毒林檎にあり」
と感じる、私の手垢のついた脳みそは
今の若者に対して苛立っているのでしょうか。
何兆という腸内細菌と共に生存しながら
「除菌」とはなんたる傲慢か、と。
徹底的な除菌を進めていけば
お前の生きる場所が奪われるのだぞ、
と心の中で呟きます。
世の中のキレイなものしか受け入れず
汚いものを排除していくだけでは
私たちの胃腸は弱っていくばかり。
自分の中の汚物を溜め込んで
腸閉塞で死んでいくのは
きっと若い世代でしょう。
(それを見届けたい私の寿命はもっと前ですが)
いや、もしくは
本当のホワイト社会が成立してしまえば
それなりの高額を払って
おもいっきし悪口言える闇賭博のような場所を
編み出していくのかも知れません。
(そのためになら貯金してもいい)
そっちを妄想するのが愉快と感じるなんて
人間てほんと、ダメで可愛い生き物ですね。(笑)
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