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あの人、プライド高いから
これは本当によく聞くセリフです。
では、私がコレを聞いた時の
状況を思い出してみましょう。
そうだ、例えば
バブルの時代に
大変な予算を達成した、
っていう過去を
粉飾して周りの部下に吹聴する人へ
(お恥ずかしながら、我が先輩たち)
部下たちがヒソヒソ。
複数のクレジットカードの
限度額がパンパンのクセに
「私、安いモノは買わないの」
と周りの人に言い張る女性へ
女友達たちがヒソヒソ。
「お金を持っていない男性とは
付き合えないわ」
と自分のお給料を
棚に上げてのたまう会社の同僚に
他の同僚たちがヒソヒソ。
あ、なんか
結構ネガティブな場面が
多かったんだなあ。
でも、コレ全部
意味が違う気がするのよね。
だって吹聴おばさんは
時代が変わったことに
お気づきでないし、
カードパンパン女子は
買い物依存症かな?
高級志向おばさんは
人の価値をお金に換算するタイプ。
こちらもバブルはじけたの、
知らないのかな。
私からすれば
どれもこれも
「どこがプライドなんだ?」
と、ハテナが
溢れてくるケース。
けれど周りでヒソヒソする人たちは
こういったケースを全て
「その人のプライド」として
片付けているようです。
定義がみんな違うのよね
みんな同じ単語を使っているのに
じゃあ、意味は?
と聞かれると
うまく説明できない。
これはよくあることなんですが、
説明はできないし
意外とそれぞれの定義がバラバラ
って、考えてみたら
「プライド」って
おかしな言葉だと思いませんか?
こんな時はwiki先生に
聞いてみよう!
「プライドとは」だと、
まず「自尊心」と
出てきます。
ではでは、
「自尊心」とは
何なのでしょう?
少し長くなりますが、
そのまま引用いたします。
〜自尊心とは、
他人からの評価ではなく、
自分が自分をどう思うか、
感じるかである。
つまり、一時的に快感を与える、
知識・技術・財産・容姿
・結婚・慈善行為や
性的な征服から
生まれるものではなく、
言い換えれば、
外に求めることでも、
人に与える印象でもない。
競争でも比較でもなく、
自尊心の重要な原因は
自分とも他人とも
戦っていない状態である。〜
おっと。ビックリ。
つまり、他者と自分を比べたり
自分の葛藤にもがいてるうちは
持ち得ないということなの?
そうしたら、
流行りの「自己肯定感の低さ」は
一生出れない沼になっちゃう。
だって自己肯定感が
低いか高いかを
何の基準で決めるんでしょう?
いつまでたっても
なれない自分との比較か、
ステキな人生を歩んでいそうな
あの人との比較なのか。
その視点を変えられないうちは
幸せを感じるのは
中々難しいんではないでしょうか。
もう1ついい言葉があったよ
「自尊心」と合わせて
wikiに載っていたのは
「誇り」
という言葉でした。
私の中では
こっちの言葉の方が
格段にプライドに近い、
と思えるのです。
私は「誇り」を
他者に主張するものではない、
と解釈しています。
もちろん全員が
持っているはずだし、
お互いの誇りを傷つける
べきてはないけれど
相性や誤解がつきものの
ややこしい人間関係で
自分の誇りが傷つけられる事もある。
人はそれを傷つけられて
初めて自分の誇りの何たるかを
知るんじゃないのでしょうか。
他者への見栄や
虚勢の部分ではなく
自分の心を
深くえぐられた時に初めて
他人に絶対に侵されたくない
自分の尊厳を知るのです。
それを知っている人たちは
他者に余計な見栄を張ったりしません。
見栄や虚勢が
「プライド」という代物には
到底なり得ないことを
熟知しているからです。
同時に私は
全員が「誇れる自分」に
なれるなどと
思ったこともありません。
だって、
「誇れる私」って
他者へのプレゼンだと思うのです。
あなたがもし
誰かから大きく傷つけられた、
そんな経験をお持ちなら
何が自分の
誇りであるのか、を
ちょっと考えてみてください。
その傷が深ければ深いほど
あなたの尊厳がどこにあるかを
映し出してくれるはずです。
そしてそれを
そっと胸にしまって
愉快に暮らしていきましょう。
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