選びたいのか、選びたくないのか

こんにちは、kay(ケイ)です!

突然ですが、

「私は買い物に慣れている。」

そう思って長らく

生きてまいりましたが

最近は、

大きい商業施設が

居心地悪くなってきたのです。

働いていて言うのもなんですが、

選択肢が多すぎて

入った後

なんか、ちょっとフワッと

してしまうのであります。

何を買いにきたのか

一瞬わからなくなってしまい、

目的と全く違う店で

何かないかな〜、と

何と0からの買い物を

始めようとする自分がいるのです。

そんな時に

ふと考えてしまいます。

「無限の選択肢って

本当に必要なのかしら?」

今日もお付き合いください。

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選べる楽しさ

もちろんお買い物が

心から楽しい時もありました。

ほんの数年前までは

どんな些細なものでも

「手にとって選びたい。」

的な職人を気取ったような

ツッパリ感があったのでしょう。

お店にどんな物が出ていて

その街ではどんな物に

人が集まっているのかを

半分、ボーっとしながら

肌で感じているのが

好きでした。

アパレルでも

人気のお店やディスプレイは

東京で言えば

区や、駅によって

違います。

「コレを見に行くならココ」

と言うふうに

ロケーションを選ぶ事さえ

楽しかったのです。

今思えば

「コレとこれを見たいから

今日はここから始まって

それならランチは

ここで食べて

せっかくだから

ここまで足を伸ばして

夜はこのお店で

お喋りしよう!」

みたいな買い物デーを

ほとんど毎週やっていて、

それは、もう

決断の連続でございました。

あんなに気力と体力を

使っていたのに

それが苦になった事は

一度もないのです。

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選ぶ必要のない開放感

一方で、

全ての物に頭を使って

気力を注いで

決断するのは

中々疲れる作業です。

だからこそ、

私のような販売職が

日本では成り立つんだな、と

今はナットクの毎日です。

自分が消費者側に立てば

「誰かが勧めてくれたら買う」

と言う心理が、

お店に入ると

ほとんど自動的に働くのが

理解できます。

自分がそこまで

こだわらない物に

長い時間と少ない決断力を

あんまり注ぎたくない()

これは一体

加齢が原因なのか、

一度知ってしまった

「選択の連続」からの解放感は

誰に追われるでもなく

ゆったりとしていて

今の私には

非常に心地いいのです。

もう、

生活必需品や

消耗品なんかは

ネットでパパっと買って

Amazonさんに

家まで届けてもらおう。

ホントにたまーに

食べたいかも。。。

と思うような

インドカレー屋は、

町に一軒あればいい。

(美味しくなきゃダメだけど)

何にも考えずに

「カレーと言えばあのお店」

と言う具合に

私は生きていきたい。()

両方あるのは贅沢です

そりゃあ、

重々わかっております。

こんなに物に囲まれて

なおかつ、それらに

背を向けることだって

できるわけです。

そんなに生真面目に

考えすぎず、

好きにしたらいい。

けれど

溢れるモノの中に

飛び込めば溺れてしまうし

泳ぎに行かなければ

世の中という海を

知らずに終わってしまうのです。

その中でうまく

バランスを保って

自分だけの波を捕まえるのは

サーフィンよりも難しい()

目下の目標は

「選ぶ能力はあるけれど、

ここぞの時しか選ばなくていい人」

というところです。

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