「覚悟」は死語か

こんにちは、kay(ケイ)です!

最近やっと
中年の自覚が出てきまして
コレ、今ならよおくわかるなあ、、
という事が増えてきました。

その中でも特に
言語について考える機会が多いので
言葉は生物」
というフレーズが
こと、しっくりきています。

ちなみに
ナマモノでもイキモノでも
どちらの意味で解釈していただいても異存ありません。

時代の移り変わりとともに
少しずつ変容していくってのは
誰もが知ってることですが
自分がそれを体感する年齢になったのは
少なからず驚きであります。

今日もお付き合い下さい。

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流行り言葉は問題じゃない

どんな時代でも、年配者が
「最近の若いヤツは口の利き方を知らない」
と言って苦い顔をしています。

私が20代の時には
私たちは「新人類」と呼ばれましたし
(それ自体が懐かしい)

50代になった私は
今の20代に「モノを知らんなあ」と
嘆いています。

高校生の間でもてはやされる
流行りの言葉たちは
テレビやYouTubeの風に乗って
瞬く間に世間に広がっていきます。

私はそれを由々しき問題、
とは全く思いません。
流行りは廃れるからです。

特にインターネットが普及した
今の世間のペースでは
数ヶ月で見向きもされなくなるって事が
あちらこちらで起こっています。

ま、そのうち
なくなっていくのがわかってるなら
期間限定品として流行り言葉を
楽しんだらいいんじゃないの。
という程度のモンです。

むしろ問題は
「死語」にあると思います。
キチンとした意味があって
正しく使われていた時代がある上に
言葉自体が廃れたワケじゃない。

でも、確かに時代に合わなくなったのか。
「その単語を使わなくてもいい」
という大多数の認識が
会話から言葉を剥ぎ取っていきます。

今や何でも短く略して
すぐに結果を求める時代。

曖昧さや余白を楽しむという文化を持ったこの国が
いつのまにかずいぶんとギスギスした感じに
変わり果てたように思います。

葬られた言葉たち

ちょっと前までは
真夏に浴衣の女性がいたら
彼女たちは「素足」を見せておりました。

ワンピースでサンダルでも
良いんだけど、とにかくね
「生足」とは訳が違うんですよ。

わかります?

あなた、女性の「なまあし」って
見たいと思いますか?()

なまあし、ってコレ。。。
どうして素足という
美しい日本語があるのに
わざわざ生の足だなんて
言うようになったんでしょう?

本人の言語センスは紫式部の時代から
中々に優れていると思うのです。

しかも、素足って言葉が
決して邪魔だった訳ではないと思うんです。

ただ、生足に負けた。()
そしてこの問題が起こったのも20年前くらいだった。(笑)

こうやって、
自浄作用(のようなモノ)を繰り返して
それでも言葉は生きていきます。

時代の隙間に忘れられた
「言葉の死骸たち」は
それを知る人が亡くなっていけば
そのままそこに置き去りなのです。

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自然を受け入れられない人たち

普段の何気ない会話や
日常の生活の根っこにある
死生観も大きく関わるんでは。
と思ってしまいます。

大きく考えれば今の時代は全員が
「自分は死なない」
と思って生きています。

や、いつかは死にます。
全員が必ず死にます。(笑)

それが自然で当たり前の事実ですが
「もしその時が来たらどーする?」ってな事を
私たちは考えるようになってしまった。

「もし、その時が来たら」
にまつわる自分の想いや生き方を
要約した美しい日本語が
「覚悟」です。

最近とんと聞かなくなりました。
何故かというと「危機管理」という輩に
すり替えられたからだと思うのです。

人間が管理できないのが危機なのに
それすら管理しようなんてちっと傲慢なんでは、
と仰る方がいらっしゃいます。

私もそう思います。
絶対に変えることのできない
「死」という自然を拒んで
手に負えない「危機」を
「管理」しようとしている訳です。

そりゃあ、お金はかかるし
不安は増すばかりでしょう。

とても不自由で
すごく不自然だと思います。

なので私は、
家で素足を楽しみながら
自分のできる範囲で覚悟を持って
余計なことは考えず
目の前にある人生に
取り組んでいこうと思っています。

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