英語の扉

こんにちは、kay(ケイ)です!
皆さんは社会人になって
何か新しい事を始めようと
思ったことはありますか?
私は色んなものに
首を突っ込んでは
極めることなく
軽い趣味の程度で
留まることが多いのですが、
なぜか英語を話すことに関しては
割と長く続いているようです。
月日が経つとお付き合いも増えて
外国にも友人ができたので
インターネットの
整ったこの時代には
あって良かった自分の
コミュニケーションツールと
なった訳です。
そしてはたと周りを見ると
同世代の友人の中にも
「英語学習」を諦めた人が
なんと多いことか。。。
そんな人たちに話を聞いてみると
興味深い共通点が見えてきました。
今日もお付き合いください。
Unknown-11

人の考える言い訳は無限

「やりたいけどやらない」

「やりたくてもできない」

微妙にニュアンスが違います。

けれど

何か新しいことを始めたい、

と思う人にとっては

どちらも陳腐な言い訳に

なってしまいます。

人間の好奇心は

純粋であればあるほど

そんなありきたりの言い訳では

抑えきれなくなるからです。

時間がない、や

やる気が出ない。は

自分の現状に

しがみつこうとする言葉です。

だって、やりたくないんだもん。

私もブログを書き始めてから

何度それを呟いた事か()

けれど、書き始めれば

時間のやりくりはするし、

考え始めれば

やる気があろうがなかろうが

自分の中に入っていくわけです。

きっとこれからも

「妖怪やりたくにゃい」が

油断すればすぐに

取り憑いてくる事でしょう。()

私はこれでも段々と

扱いに慣れてきたので

きゃつが来たら

とりあえず放っておきます。

2日経っても出て行かない場合は

無理やりパソコンデスクに向かい

書けなくても書くふりをします。

最近はそうすると

気がついた時には

いなくなっているのです。

やる気を出した、と思わせるのが

どうやら有効らしい。()

取り憑かれたからと言って

諦めてはいけません。

せっかく続けて来た事を

妖怪なんかに邪魔させてはいけません。

あなたの妖怪にも

きっと追い出し方があるはずです。

英語の扉

外国人との繋がりが多く

英語を使う機会に恵まれている私は

最近少しずつ

英語学習についての相談を

頂くようになりました。

私は学生時代に学校で

キチンと勉強してこなかったので

なるべく教科書を使わないで

話せるようになんないかな?

と、アドバイスも

試行錯誤しています。

とても興味深いのは

相談してくれる方たちが

共通の悩みを持っていることです。

・学生時代から英語に苦手意識がある

・社会人になってから何度かリトライした

・やはり諦められず、

 もう一度トライしたいが

 何から手をつけていいかわからない

私はこれらのお悩みを聞いて

何かお手伝いしたい、

と心底思いました。

だって、学生時代から

苦手意識があるのに

あえて挑戦しようとしてるんですよ?

それだけ大きな好奇心が

ずっと心の中で

不完全燃焼しているのです

私が英語を話せるようになりたい!

と思った動機は

それに比べればずいぶん不純です。

(ここではお恥ずかしいので

それはまた別の機会に)

とにかく、

彼ら、彼女らは

「英語学習」という

新しい扉の前まで来たわけです。

それはもう、

全力で開けるべきだ!

と大声で言ってあげたい。

社会人になってなお、

抑えられない好奇心があるなら

きっと次の挑戦は

諦めることなく続けられるはず。

大の大人が

新しいことに向かって

「やっぱり、やってみる」

という決断をする瞬間を

私は喜んで見守りたいし、

扉の向こうに広がる景色を

一緒に見に行けるような

ガイドになりたい。

そんな健気な大人たちを

心から応援したいのであります。

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扉の向こう側

私は無理に他人に

何かを押し付けるのを

極端に嫌ってきました。

それは、自分がされると

本当に不愉快だからです。

けれど、英語学習の相談を受け

同じ悩みを持ちながら

やるべきか迷っている人を見ると

ううう。。

と、こちらも唸ってしまいます。

ああ、背中押してあげたい。。。

扉が目の前にあって

背中を押されたそうな人がいたら

ある程度は押し付けるべき。()

という考え方に

段々と変わってきたのです。

新しい「扉を開ける」事が

とても素晴らしい、

でも重々しい印象を

与えていて

開ける事自体を

考えてしまうのであれば

私の意見は

「一回、開けたら?」です。

なぜなら、

扉の向こうに続く道を

地道に歩いていく事に比べれば

ただ「開ける」ことは

一番簡単な事だからです。

よくファミレスなんかで

重たそうな木製のドアを

身構えて押してみたら

ドアが軽すぎてコケそうになった

って事が何度かありましたが、

新しいことを始めるのは

まさにあんな感じでは?

開けた扉を後ろ手に見れば

そこには重々しい

鉄扉のように見えた外観はなく

広がる景色の中に入ったんだ、

という感激と共に

一段と小さく見える

ささやかな扉が

佇んでいるだけなのです。

これを読んで、もしあなたが

「英語の扉」を開けたくなったら

ぜひ私にご相談下さい。

一緒に扉の向こう側を

見に行きましょう。

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