友達との距離感

こんにちは!kay(ケイ)です!
今日は久しぶりに
気の合う友人たちが
自宅に遊びに来てくれました。
男性が二人、女性が一人、
私を入れて4人で飲みましたが
3人とも神奈川に来てから
仲良くしてくれている人たちで
毎回、今日も楽しかったなあ
と思えるメンバーです。
いやあ〜、楽しかった。
久しぶり、というのも
もちろんあったのですが、
今夜はさらなる収穫がありました。
お開きになった後、
ふと考えたことを
書いてみようと思います。
あなたは現在お友達と
心ゆくまで話せてますか?
これを読んだら
次に友達と会った時、
もう少し踏み込んだ話が
できるかもしれません。
最後までお付き合い下さいね。

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今のご時世、家飲みはメリットだらけ

コロナ禍に巻き込まれて、はや2年。
お酒も提供されず、営業時間も短くなって
飲食業の方々は本当に大変かと思います。
そして、いこいの場を失った私たちも
「家族や仲間とのいい時間」を
奪い取られ、日々つのってくるストレスに
ほとほとウンザリしています。
けれど、そんな今だからこそ
「家に集まる」はとてっても有効です。
私は「コロナは正しく恐るべき」と思っているので、
過剰なプロテクションや非科学的な行動をとる人とは
どうやらあんまり馴染まないようです。
もちろんいろんな意見があって当然ですが
友人と気楽に過ごしたい時に
「これを言っても大丈夫かしら?」
的な空気で終始してしまうのは
とってももったいない事だと思うのです。
その点、「ウチで納涼会!」となれば、
日本のオールドメディアの言うような
「コロナの恐怖」を真に感じている人なら
絶対に他人の自宅には来ないでしょう。
つまり「来たい人がくる」ワケで
そこに対して気遣いをする必要がない。
もう一つコロナを逆手に取れば
今、ウチの近所の中華料理やさんは
「お持ち帰り20%オフ」なワケです。
すごく美味しいんですよ、ここ(笑)
そんな感じで大した料理もせず、
美味しいご飯にありつけて
周りの目もヘッタクレもなく
「納涼会」がスタートいたしました。

私、常々思ってましたが。。。

今まで私はすべての人間関係の中で
「自分の思うところ」を上手に出すことが
できなかったように思います。
我慢していたワケではなくて
単にやり方を知らなかったようです。
そして、もちろんそこには
「私なんかが思ったことなんて」
という劣等感がうっすらあったと思います。
自分が本当に話したいことや
他の人の意見を聞いてみたい、
と思うことを少しずつ外して
当たり障りのない
うわずみだけをすくい取っていたのかと。
そりゃあ長く付き合っている友人には、
文字通り「なんでも言える」人もいるんですが
それは友人全員に対して
同じように出来ることではないですよね。
ただ、なるべく誰が見ても
誰と話しても「同じ私」という人でありたい。
と、心の奥では密かに願っておりました。

kayを面白がってくれる人たち

今夜ウチに遊びに来てくれた友人たちは
それぞれに自分の事を
「ちょっと詳しく」話してくれます。
今、彼らが思っていること。
家族について、死生観、興味のあるもの、
変化した考え方や直面しているストレス。
今までもお互い少しずつ話してはきましたが
コロナ禍のストレスか、久しぶりだったからか
私はついつい、今まで他人に話して来なかった
自分の興味についてまで熱く語ってしまいました(笑)
「飲み屋にいたら一番ウザい」
と思われるような会話を自分から
切り出してしまい、ヒジョーに恥ずかしかった。
(これも宅飲みのメリットでしょうか)
でもそれを、意外と友人たちが
会話につなげてくれたのです。
なんだか私は、
今夜もっと仲良くなれたような
そんな気持ちになってしまいました。
最近気付いたことですが、
私には「kayを面白がってくれる人」が必要です。
一人でもそんな友達がいれば
人生はなかなか楽しくなってしまうのです。

それが今夜は3人も(笑)
ちょっと恥ずかしい、と思うくらいのことは
少しそこを踏み越えて話していくべきなんだなあ。
そうすると、
相手も少し恥ずかしい所を見せてくれる。
で、お互い「全然恥ずかしくないよ?」と
言い合えるワケです。
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いかがでしたか?
意外と自分の「恥ずかしい」は人にとって
「そうでもない」ことが多いようです。
照れを乗り越えて話していけば
「こんなこと考えてんだー」と
改めてお互いを知ることができて楽しいですよ。

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