言葉とリテラシー。そしてコミュニケーション

こんにちは、kay(ケイ)です!
今日ランチに行った
オシャレカフェで
つい立ての向こう側から
聞こえてきた会話が
夕方あたりから
ジワジワとみぞおち辺りに
食い込んでおります。
「コイツらねっとりてらしー
ゲキヒクじゃね?!ガチぁたまワリィ」
お。。おうぅ。。。
文字にすると、まさに
「おまえがな」
な文言ですけど
それを言っちゃあブログ書けないの(笑)
なので、全部を一度バラして
どこに腹が立ったか(あ、言っちゃった)
分析してみよう!と思います。
ご興味あればお付き合いください。
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リテラシーがわからんかったの

ランチの間中、イヤフォンして
Youtubeを楽しんでいた私に、
なぜこの会話が聞こえてきてしまったのか。
それは単に声がバカでかいだけじゃなく
彼が発した「リテラシー」と言う言葉。
最近、頻繁に耳にするなあ
と思ってはいましたが
実は私、意味わからんかった(笑)
なのでここでは
リテラシーが低い人間についてなんて語りません。
(意味わかんないけど)
私のオシャレランチを邪魔してまで
わざわざ横文字を並べ立てて来る
「ウザい連中」について
大いに語ってやろうと思います。
ところで問題のリテラシーですが

元々は「書き言葉を、作法にかなったやりかたで、

読んだり書いたりできる能力を指していた用語」
で、現在は「コミュニケーションの媒体を適切に読み取り、
適切に分析し、適切にその媒体で記述・表現できること」
などを指すようになってきている。
by wikipedia
だそうな。ふうむ。。
「それぞれの媒体で、そこに合った
コミュニケーションが取れること」
って、できる人少ない気がする、、、
カフェでアホみたいな大声出して
他人のリテラシーの低さをあざ笑うほど
彼らはコミュニケーション能力に
長けているとでも思っとるのか?
これは由々しき問題ですぞ。

それは他人が決めんのよ

ネットビジネスや個人起業家が
ものすごく増えてきて
「ネットスラング」と共に
「ビジネス用語」なるものも
無数に出てきたけれど
ほとんどがカタカナ英語なのは
何でなんでしょう?
アイヴィーリーグに憧れて
留学してMBAかなんか取っちゃって
「ニホンのビジネスを変える!」
って言い出した人たちや
スタートアップに憧れて
サンフランあたりをウロウロした後
帰国して「自分のビジネス始めたんだよね」
って言い出した人たちが
大量にビジネス用語を輸入したのかしら。
大昔から日本にあった民主主義や
江戸時代にはとっくに構築されてた
信用貨幣の概念なんかも
全部カタカナに変えられちゃって
まるで何にも知らなかった日本人が
欧米から全てを教えて頂きました、
ってな感じで
ビジネス用語が跋扈しているわけだけど
「その言葉を知っている」事と
「その言葉が自分の伝えたいことを正確に表現している」
って事は、全く別のお話でしょう?
カフェにいた(多分)30代男性たちは
「こいつはリテラシーが低い」と
誰かのことをバカにしていたけれど
きっとカタカナ英語を振りかざして
「俺たちってちょっとアタマいいからあ」
って事なんでしょうとお見受けしました。
そして彼らが
「リテラシー」と言う言葉を
使ったおかげで
「バカはあんた達よ」
と、私ごときにバカにされる羽目になった訳。
彼らは使う言葉を自分で決められますが、
それによって彼らがどう見えるかを決めるのは
彼らじゃないんです。
それを決めるのはいつだって
つい立てのこちら側にいる
他人なんですよ。
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結局のとこ、「誰が言うか」なの

で、ですね
何で私が彼らを「バカだ」と思ったか
と言いますと
まず、「着こなせてない」
って事だと思うんです。
言葉を使いこなせないのは
お洋服を着こなせないのと
全く一緒だと思うんです。
どんなに憧れてるハイブランドでも
似合う年齢があるように
背伸びしてるのがかっこよく見えるのは
ホントに稀なケースですよ。
で、厄介なことに
言葉の場合は年齢よりも経験がずっと出る
とつくづく思います。
どうしてそう考えるように
なったかと言うと、
人は発せられた言葉の後ろに
その人が「積み上げてきたもの」
を見るんじゃないかな、と。
ある人の記者会見を見た時に
強く感じたんです。
私には20代、30代の時に
何かを発信したい、と
考えていた時期がありましたが、
書いてみたものは
どれもこれも薄っぺらくて
(今が厚いとも思えませんが)
結局その時出した結論は
「まだ早い」でした。
私がその時に書いたものは
経験したことから湧き上がった
言葉ではなかった。
「大体こんなもんでしょ」って言うような、
脳ミソで考えればそれなりなような(笑)
でも、もしかしたら
同じような事を別の誰かが言っていたら
しっくりくる場合もあったのかもしれない。
「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で
言葉の重みは全く変わって来るのです。
ようやくそれに気がつき始めた私は
今の自分に着こなせる言葉を探して
まだまだ旅をしています。
つい立ての向こう側から
どんな反応が来るかを考えながら。

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